INTERVIEW#01 TAKAKO SHIRAIWA

白岩高子/特定非営利活動法人コーナス事務局長

interview :  YOSHIAKI KASATANI

photography :  JEAN-YVES TERREAULT

 

 

笠谷:アート活動を通して障がい者の自立を支援する「アトリエコーナス」を設立した理由、きっかけを聞かせてください。

 

白岩:私の三女は難治性てんかんで、知的・身体的に障がいを抱えています。つねに子どもの「受け入れ場所」を探し求めては、「社会に受け入れてもらえない現実」にぶつかり、葛藤する中で、それなら自分たちでつくろうと、同じ意志を持った方達と1981年に「障がい児の親の会」を設立しました。1993年に作業所ができましたが、当初は内職作業のみを行っていました。でもそれだけでは、社会とつながることはできない。彼らが自分の個性を生かし、人々とつながり合い、社会の一員として生きていける道として、「アート活動」を思い立ちました。何かを表現することは、彼ら自身が自分を解放し、自由に生きる術になるのではないかと考えたんです。

 

笠谷:アート活動を始められたのは、いつ頃からですか?

 

白岩:2004年からです。「そんなことできるわけがない」と決めつけ、彼らの可能性や自由、チャンスを奪ってきたのは、私たち親や周囲の人間なんじゃないかと。だからまず自分たちが「壁」を取り払って、やってみようと。そして、これは私自身の確かな直感として、時間・環境・画材、そしてサポートする人材さえ揃えば、彼らならきっと素晴らしい作品を生み出せる気がしたんです。とはいえ、当初はギャラリーや美術館で展示していただけるなんて、想像もしていませんでしたが。

 

笠谷:2005年に大阪市阿倍野区にある現在の場所に移転した「アトリエ コーナス」ですが、あえて町屋を選んだのはなぜなんですか?

 

白岩:普通の町屋なら、近所の人たちに気軽に声をかけてもらえるんじゃないかと。町屋には、人と人との“ほどよい間”、つかず離れずの関係性があります。家々から聞こえてくる笑い声や夫婦ゲンカ、晩ご飯のおかずの匂い…。そういう人の気配や暮らしの匂いを自然に感じられる生活というのは、マンションでは難しい。近所の人々や通りすがりの方たちが何気に立ち寄れる開放的な町屋空間にすることで、彼らの人間関係は広がるんじゃないかと思ったんです。

 

笠谷:地域に開かれている障がい者施設というのは、非常に少ないですよね。

 

白岩:そうですね。「アトリエ コーナス」は見学自由ですし、ミュージシャンによるライブ演奏会など、地域交流のきっかけになるイベントや取り組みも積極的に行っています。それは彼や彼女たちのことを、もっと自然に知ってもらいたいからです。

障がい者と関わったことがない人は、「こわい」「かわいそう」など“自分とは違う”イメージを持っています。でも、日常的に彼らと接してもらえたら、意外にお茶目でかわいい彼らの魅力、ありのままの人間性を知ってもらえるんじゃないかと。私たちの生活は人と人とのつながりで成り立っています。だから、ここをオープンな場所にして、町の人たちに集ってもらえる、認めてもらえる場所にしたかったんです。


笠谷:今やコーナスのメンバー全員、様々な美術コンクールで受賞歴を持つほど国内外で認められ、高い評価を得ています。アート活動を始めてからの彼らの変化というものを、白岩さんはどう感じておられますか?

 

白岩:普段、様々な「不自由」に縛られている彼らが、アートに夢中に没頭している時だけは、少し自由になれるような気がします。どれだけ時間をかけてもいい。描きたくなければ描かなくていい。どんな画材を使ってもいい。何を描いてもいい――。正規の美術教育を受けていないからこそ、彼らは自由に表現し、内に秘められているものを描き出します。言語を持たない彼らが何を思い、何が理由で自傷行為をするのか、彼らの痛み、辛さ、苦しみが何なのかわからなくて、心が折れることも何度もありました。でも、アート活動を通して、少しずつ彼らの奥底にあるものが見えてきた気がします。

 

笠谷:具体的に見えてきた彼らの内面というのは?

 

白岩:たとえば、コーナスに在籍する植野康幸というアーティストは、モード雑誌『VOGUE』のモデルたちのファッションに自身の顔を描きます。実は、彼が表現したいのはファッションだけではなかったんです。というのも、彼は毎朝着替えのたびにパニックを起こします。その原因は、自分の「毛ずね」に対する嫌悪感から。「もしかして植野は女性になりたいんじゃないか?」と気づいたスタッフが、あるときショップに連れて行って好きな服を選ばせたら、彼はピンクや赤の洋服ばかりを選びました。彼のアートは、「好きなファッションを身にまとった自分自身」なのだと、彼の奥底にある願望を初めて理解できました。また、楽譜の絵を描く西岡弘治は、赤ん坊の頃、夜泣きが激しいときにはいつも母親がクラシックのレコードを聴かせていたそうです。その影響で音楽が好きになり、幼少の頃、ピアノを習っていました。ある年、コーナスにピアノが寄贈されたとき、練習曲の楽譜をめくって、じーっと眺めていたんです。すると数日後、突然、その楽譜を写譜し始めました。幼い頃の楽しかった記憶が、彼のアート表現につながっているんです。

 

笠谷:白岩さんの読み通り、彼らがアート活動を通して自分自身を解放し、「表現」し始めたことによって、コミュニケーションの可能性が一気に広がったわけですね。これからのコーナスは、さらにどういう広がりを見せるのでしょう。

 

白岩:設立以来のメンバーとは、もう30年のつきあいになりますが、私はまだ彼らのことを5%くらいしか理解できていないように感じます。でもその5%は、彼らのものすごく大切なコアな部分ではないかと思っています。私たちは「アート活動」にこだわっているわけではありません。彼らは、ある日突然、描き始めました。だから、いつか突然、描かなくなる日がくるかもしれません。そのときはまた、彼らが興味を持てること、彼らが進んでいきたい道を一緒に探し、サポートしていくつもりです。